お酒をのんで

2007年10月26日
良い気分vv

片手に日本酒、片手にPC.

自由っていいなぁってしみじみ感じる。


前はお酒禁止だったもんなぁ…。



涙は前住んでいた所に置いて来た。
全てを置いて来た。


後悔はあるけれど


戻りたいとは思いたくない。




自分に正直に。

今なら生きても良いかなって思う。










しかし酔って書く文章ってあぶないなぁ…笑

ほわちゃー

2007年10月24日 日常
今、父方の叔母到来。

ちなみに叔母は祖母の性格を受け継いでいるのでさりげに性格がどぎついΣ( ̄ロ ̄|||)

「あら〜、ブドちゃん。どこに就職するつもりなの??」
「ブドちゃん最近は正社員はないわよー」
「派遣会社って元はヤクザの仕事だったらしいわ」

…。そんなこといってたら

働くところないと思いますよ(ニッコリ


くきぃぃぃーー!
私の仕事先の心配より

お前の娘の嫁入り先を心配しやがれーーー щ(゜ロ゜щ)

居候ぶど

2007年10月19日
タイトルどおり居候中である。

別になんてことはない。

友人と同居(就活のため)しているのだw
早くも私はここに居心地のよさを感じている(ぉぃ

人との生活はこんなにも楽だったのだろうか…。

そのせいかやたらと

一発芸を思いつく(ぉい

友人は突っ込み急がしそうだ(人事かよ!

うーん、早く自分の場所を見つけたいなぁとつくづく思ったw

ぼーっと外をみる

2007年10月12日 恋愛
携帯を機種変したおかげか実家に携帯の電波が入るようになった。

どんだけ田舎やねん!

電波が入らないと私の友人は嘆いたものだが私はそれが唯一うれしかった。

元彼と連絡がとれないからである。

私のせいじゃない。
電波のせい。
連絡とれなくても電話をとらなくても怒られない。

まさに私にとっては至福の時。

いつも道具のようにそばに置いておきたかった彼にとってこの圏外というのは忌々しかったにちがいない。
なんせ電話の一本とれないだけで鬼のように怒る人だった。
メールの返信がないときも怒った。

私が友人達とあっていて電話が取れないとわかっているはずなのに何回もメールではなくあえて電話をかけてくる人だった。

そして取れないと怒る。
私は謝る。

連絡の内容といえば
「たばこ買ってきて」
これだけである。
メールで事足りるはずなのに何回言っても電話だった。

なぜ私はこんなにも縛られていたんだろう…。
今でもどこかで縛られているような気がする。

はやくこの呪縛がとけたら良いのにと思った。

いん 実家

2007年10月8日 日常
てすてす…


実家のPCがつながりました(〃▽〃)

こちらは

山と緑と森と田んぼ…

つーか山しかねぇ…orz

にょっ

2007年10月2日コメント (2)
四国を脱出して中国に入りました。

いわゆる

出入国!

入国した当初疲れたのか眠くてたまりませんでした。

寝る子は育つ!

横に!

一応フリーになったからには

ナイスなバディを目指してみたり

はたまた

絶世の美女を目指したり等

がんばってみようかと思います。

その前に就職かな…

脱出

2007年9月29日
今日徳島を出ます。

ここで会ったたくさんの人たちとなぜこんなに急に別れることになったのか悔やんでも考えてもまったくわかりません。

私と彼との関係を知ってる子たちは「またブドさんは帰ってくる」と思っているようです。

けれど私は本当に今生の別れとしてお別れをしました。
二度と会うことはないかもしれません。




思えば彼のおかげで

夜間の外出禁止
外食は許可つき
友人との長話の禁止
手料理を作らなければいけない

などなどこのおかげで交友関係は狭まってしまっていました。
そんな中私を見捨てずに関係を築いてくれた友人知人に感謝です。

別れまで彼に振り回されるとは。。。
本当に悔しい。。。

けれどこれを選んだのは私です。

ようやく自分のために生きてゆけそうなのです。

またきっとこっそり遊びに来るからみんなよろしくね><

こうしてみると

2007年9月25日 日常
いろんなモラハラブログを見てみると「あーこれウチのカレのことだ!」というものによく出会う。

「物がなくなったら絶対自分だけで探さず私に探させる」
「いやなことがあったら私のせいにする」
「ささいなことでマジギレする」

などなど。

私は人間扱いされてなかった…。
犬以下の扱いだった。

いまならそう言える。

え…?

2007年9月22日 恋愛
彼の中で


私は実家に帰らないということになってましたorz



おぃっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





一昨日も話し合いで4時に就寝。





はぁああああ

昨日の夜

2007年9月20日 恋愛
昨夜ベットの↑でなぜか元カレと話し合った。

もう別れたはずなのに…。

散々罵倒され暴言をはかれ
体が弱いと言われ薬漬けだとも言われ
あげくの果てに朝時間通りに起こさないと叩かれた。

私の心はもう傷つきようが無いくらいボロボロだった。
涙なんて出ようハズもなかった。

きっかけはささいなこと。
私がいつ出て行くかを聞かれ、それに答える。
ただ布団は私が高額なお金を出して買ったのでそれはもって行くと主張したこと。
その強気な態度が彼を刺激したらしい。

「なんだそのケンカ腰の態度は!出て行け!」

言われた私はしばらく沈黙し

「わかりました。じゃあウィークリーマンションでも借りて後3日間で出て行きます」

その後は3日間でまとめる荷物をノートにこっそり書き出した。
もう二度と戻らないように。
もう後ろを向かないように。
もう心が傷つかないように。

7年間という長い時間を過ごした彼氏の背中をみた。

もう見ることはほとんどないだろう。
一緒に過ごした時間はほとんど私を叱ることに費やされてきた。
カレの友人の前で罵倒されたこともあった。

そんなことはもうない。
カレを通して築き上げてきた人間関係も切れるだろう。
弟のようにかわいがった後輩
本当の親友のように接してくれたカレの友人
私の体を労わってくれた上司
カレ以外の人間関係は離れがたいほど充実していた。

けれどもう私は出て行くしかない。
これ以上いたらもうどうしようも無くなる。
ここまで耐えたのだ。
涙をぬぐい、時には吐き、声を殺して泣いた。
頑張っても頑張っても労わってもらえない、大事にしてもらえない時を生きたのだ。
傷つけられても謝罪の一つもなく更に罵倒され、泣くことも傷ついたことも受け入れられることは何一つなかった。

そんなときモラハラという言葉を知った。
私はそのとき初めて被害者だということを知った。
そしてモラハラの加害者は治ることがほとんど無いということも知った。

この言葉を知って涙が出た、そういう人が多いと聞いた。
けれどそのときもう涙も枯れ果てて涙が一滴すらも出なかった。

私には心が無くなってしまったのだろうか…。
別にそれでも良かった。
傷ついても傷ついても労わってもらえずむしろウザがられる心などいらない。

ただそのときから私は別離について考えるようになった。

もういくら泣いても全くの無駄。治ることはない。
愛情がもらえるわけでもない。何かが保障されるわけでもない。

なら親のところに帰ろう。
せめて産んで育ててもらった母に恩返しがしたい。

そう考えたのは半年前からだった。



もう未練はない。
彼も別れたがっている。
ならばもうそれでいい。
しょうがない。


そう思い数日前いきなり荷物をまとめ実家に送った。
ダンボールの多さが歴史の長さを語っていた。



それに気づいた彼はそんなに傷ついた様子もなく普通に過ごしていた。





それで終わるはずだった。







けれど昨夜彼は泣いた。
彼が泣いたのを見たのはもう6年も前だ。
「いきなり荷物がなくなっていた。あれはきつい。」
「ずっと一緒に居たのに」
「お前は悲しくないのか?」

そう問われた。
泣いた彼を見て7年のときを思い久々に私も悲しくて泣いた。
「悲しいよ…。」

やっとの思いで言った。
「けれどしょうがない」
とも言った。

「親に何か会ったらここからでもすぐに行ったら良いじゃん」
「オレがここにおってって言ってるんだ」

カレらしい言い方だと思った。
「お前もここにおりたいんだろ?」

「うん」

「だったらおれや…。」
「父親嫌いなんだろ…?」

「うん」

あんなにここを出ようと決心したのにそれが早くも揺らいでしまった。またずっとここに居れたらどんなに幸せだろうとも思った。

週末は後輩を呼んで一緒にゲームをして笑いあって、
仕事先では先輩と一緒に笑いあって、
夜は文句を言いながらもご飯を作って、

こんなにも彼が私のことを思ってくれているのだから居たっていいじゃないか!
何回も自分に言った。

けれど


けれど


そこに私の傷ついた心はないのだろうか
そこにいたら私はもう傷つかずに済むのだろうか


もうこの彼から罵倒され貶され、自由を奪われることは無いのだろうか。

何回も「ここに居たい、このままずっと一緒にいたい」
言いそうになった。

けれど言い留まった。
ここまで覚悟を決めるのに5年かけた。
私はこの人に愛されてないと思い込むのにここまでかかった。
傷つかない心を持つために2年かかった。

もうどうしよもないのだ。

「実家に戻ったらもうそこから離れられないんだぞ。いいのか」

彼に言われた。

確かにそうだ。
もう離れられないかもしれない。

よくない。
よくないけど
将来のことを考えたら実家の近くの方が良い。
この人は私と将来ずっと共に居てくれるのだろうか。
ずっと手を握ってくれるのだろうか。

もう数年間手をつないで歩いたことのない私の手を…。

そんな保障はどこにもない。
よく人は神に誓うというけど神様なんて居ないのはもう10年前から知っている。

「実家に帰ります」

涙で何も見えない状態で彼に言った。

「それでいいんやな?」
「…うん。」
「ほんまやな?」
「……うん。」
「じゃあ、何でなくん?それだったらここにおれや、オレ良いって言いよるんぞ。」
「………うん。」

「…長かったなぁ、7年間」
「うん」

彼の腕枕で涙を流しながら寝た。
バカがグタグタ文句?未練めいたものを言ってくる( ̄□ ̄;)

けどそんなのかまってられない。
なんせ

あなたに

7年間かけましたからぁ!

こっちとら何年我慢したと思ってんのさ。
まったく。
チャンスは腐るほどあったはず。
そこまで見守れるほど若さが永遠にあるわけじゃない。


なーんて思ってたら

バカ「8年ちょいか…、長かったなぁ…」

だから7年やっちゅーねん(怒)

アラヤダ!

2007年9月15日
楽しい日記を更新しようとおもったのに更新できない自分がいるわ(T△T) 

しょうがねぇ〜。

だって彼氏の語録がすごすぎて!

例えば

「いつ出て行くん?次のメシ係(彼女)のこともあるし」


「あ〜、教授に呼び出される〜」


「なんて言って辞めるの??(オレに迷惑かけんなよ)」




等。
ま、まぁ皆さん言いたいことは分かります。突っ込みどころも分かります。

ここは生暖かい視線で見守りましょうヾ(@¬_¬@)ノ

かと思えば

「オレ体重が○キロになっちゃったよ〜」

「自分の家なのにくつろげない…」

「やっぱり夜中お腹すくからご飯作って」

と、自分の哀れさをアピールΣ( ̄ロ ̄|||)

↑多分




ちなみに前半の迷言が別れた2日後で後半が昨日とか今日ね。




ああ、男心が分からない。

ついでに彼が人間なのかもわからない 笑

新種の生物か何かなのかしら…( ̄□ ̄;)



こんな風に振り回されている私も体重が2キロ落ちました。
フッちょっとお得(* ̄∀ ̄)

ふーむ

2007年9月14日
めでたく私は世間でいう失恋をしたらしい…。

しかし1滴の涙も流していない。

涙はもう枯れているからである。

おかげでコンタクトが乾いてしょうがない 笑




ただ心に穴ができどうしてもそれが染みてしょうがない。

まぁ約8年間つきあったわけだから心に穴があいてもしょうがないのかもしれない。

仕事の関係上あと半月は一緒に住むことになっている。

ご飯も一応作ってやる。





。。。。。。。。。

思えばこの彼氏と付き合ったおかげで楽しい友人もできたし得るものもたくさんあったと思う。

しかし、私は異性の友人やその他にももっと親しく交流であろう友人も失ったのだ。

彼氏がいるから、機嫌を損なうから、怒られるから、怖いから。
私が必要以上に彼氏の云うことを聞いたせいでいろんなものを失ったように思う。

けどこれらは他の人も同じだ。
私まで極端ではなくとも友人との付き合いが減って行くのはよく聞く話である。


だから自分が特別なわけではないのだと言い聞かす。



けどね人には忠告として言ってあげたい。

自分が付き合いたい友人を切ってまでその人と付き合う価値があるのかもう一度よく考えてみて。

いや〜

2007年9月12日
バカレシと別れるかも…。



だってメールも何もかも勝手に見て勝手に怒ってます。
私を人間として扱ってくれません。


ムリざんす щ(゜ロ゜щ)

忘却〜その2〜

2007年9月10日
いや、父上に忘却されたあげく祖母にも名前を忘却されそうです。



ボケで^^;


ばあちゃーん!




名前がごちゃまぜになってるよーー!





面白いからいいけどーw

アホ日記の再開

2007年9月4日
これからはネタがあれば更新する

従来のスタイルに戻そうと思います。



フ。

これぞブドクォリティ
暗いですね。はい。

明るい記事を読みたい方は私の昨年の日記を読まれるといいと思います。

なんせ私歩くだけでネタなんでw


明るい私も暗い私も私は私です。

しょーがねぇ!

父親が私のことを忘れたとしても

否定されても

生きていかなきゃなんないのよ!



願わくばこの日記を読んだ人が自分の子供に限りない愛情を注げるように、
また親の愛情とは必ずしももらえるものじゃないこと、愛情を注いでくれる両親に感謝してくれるように

願ってます。

忘却とは…

2007年8月31日 連載
罪です。

まぎれもなく。

あんなに苦しんだ。

あんなに自分を問いただした。

女の自分に価値が見いだせなかった。

私は呪った。

全てを。

世の中を。

私の外見は悩み無さげなお嬢様に見えるらしくずいぶんと人様から当たり散らされたものだ。

悩み苦しみ、そして私は大人になった。
父は相変わらず自分が何をしたか覚えてない。
酒を飲まない為に入院していることすらわかっていない。
断酒ができると判断されなければ退院できないのだ。

涙も枯れた。

心に痛みを感じなくなった。

最初は父のこと家族のことを忘れたことにした。
それが後々我が身に帰ってくるとも知らずに。



けど、まさかこんな形で返ってくるなんて思いもしなかった。








父がこの間言った言葉
「ブドが中学校と高校の時を覚えていない〜」









私はどんな顔していいかわからなかった。







じゃあ、ここにいる私は何者ですか。。。

その後

2007年8月31日 連載
父が入院し、全てがうまく行くと思った。

治るって信じてた。

けど現実はそうじゃない。

あれから10年たった今でも私達は苦しんでいる。









その後祖母は父がそうなった原因をすべて母のせいにした。
それを聞いた叔母も母のせいだと言った。
近所の好機の視線は母と私に向けられた。

父は自分がなぜ病院に入れられたか気付かず母を責め立てた。

そんな中私と母は一生懸命頑張った。
親戚同志協力し祖母を支え、父のお見舞いに行き、高校生だった私は勉強を頑張った。

そして一段落ついたとき母はぽつりと言った。







「今、思えば、お父さんはおにいちゃん(長男)が大学に進学して家を離れてからお酒飲むようになったのよねぇ…」









そっか。お父さんはおにいちゃんがいなくなったから後はどうでもよくなったんだ。








じゃあ、娘の私は










ナンダッタノ?

父の入院

2007年8月30日 連載
異変に気づいた叔母が早速病院を探し父を入院させることとなった。



※ここからはアルコール中毒の家族を持っているかたのためのマニュアルみたいになります。


?まず病院に相談しいつ入院させるか聞く
?本人には知らせず、お酒は適度に与えておく
?当日は地名しか知らせずとにかく病院に連れて行く
?衣服等かさばるものは前日に送っておくか、後日送る


ちなみにここまで来ると常軌を逸しているので罵詈雑言が激しいです。
幻聴幻覚も激しくどうやって入院当日まで過ごしたらいいかと悩みました。

入院したら断酒させるために隔離病棟に入れられます。面会は可能ですができれば会わないことをオススメします。
アル中患者は酒が切れたことに腹を立て相手をなじります。



このような経過を経て父はある日突然私の前からいなくなった。
当日はいつものように学校に行き帰ったら居なくなったのである。


ホッとした。
安心できる家庭が戻ってきたと思った。



けれど本当の地獄が始ったのはここからだった。

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